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密厳寺 和尚の小言


2020-11-08 得度式 [長年日記]

画像の説明 11月8日拙寺の後継者になる庄 真之介が親戚・縁者並びに総代参列の下に午後2時から本尊様の御前にて厳かな中、無事に挙行されました。道内御寺院様のご出仕を仰ぎ、戒師阿闍梨は父である拙僧が戒を授けました。当日の得度式にあたりましては、檀信徒の皆様より多くの貴重な寄付を頂戴し、夏冬の衣や袈裟等々を御寄進頂きました。得度式とは別名「出家式」とも言われ、両親との縁を絶ち切り正に「家を出る覚悟の式」とも言われております。今後は、本人の精進有るのみであります。関係各位のご尽力に改めて深謝申し上げます。 合掌 

2020-11-28 忍路村土場不動明王~移転鎮座~ [長年日記]

画像の説明 この度、毎年10月28日の不動明王様の縁日に忍路不動講の皆様が一同に会して行っていたお不動様を密巌寺の來堂に御招来し移転鎮座致しました。 古くから、忍路村の土場で主にご婦人方が伝承してきた不動明王さまが縁あって密巌寺にお越しになりました。 移転にあたって古くから伝わる古文書を読み返すと、正に忍路の歴史と共に歩んできたのが解ります。 一端をご紹介すると、明治35年に塩谷村在住の渡辺 辰次氏が越後国(現在の新潟県)から招来し、当時の酒蔵で豪商であった本田 又右衞門氏の邸宅中庭(池の中腹)に祀って居たとのことです。その後、明治42年本田家が本州に移転することとなり、忍路村有志が集いお不動様をお守りしたいとの気運が高まり、主に婦人が主体と成って不動講を造り初代講長に中村 タオ氏、副講長に風間 チヤ氏が就任なされ、明治42年7月には本田邸よりお不動様を池の中より土場の不動堂に移転されたとのことです。その際に、春秋の祭典を開催することが決められたそうです。その間、昭和4年には不動堂の新築に忍路村は元よりのこと小樽方面や桃内、余市方面へと講中のご婦人方が寄付浄財に回り昭和4年9月26日には新たに不動堂が完成されました。この間、大八車にお不動様を乗せて村中を練り歩き昭和4年9月28日に新不動堂に鎮座しました。現在に至るまで忍路の人々に愛され巨益をもたらしたお不動様です。古文書を拝読する限り、もの凄い御利益があった事が記されています。お顔は穏やかなるが内に秘めたる願力はもの凄い迫力を感じます。縁有ってお越しに成られたお不動様を守って征く事が拙寺の使命と感じ、多くの人々に御利益をお授けしたいと感じる日となりました。『忍路不動縁起』より

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